道民、京都にて日本を知る
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- 北海道のヒューマンドラマ
- 第60回「文藝賞」短篇部門へ送った作品です
がんばって書きましたが、どこに純文学みがあるかは不明です
たのしかったです
#文藝賞短篇部門応募してみた
カヲリはちょっとだけバカだ。そのことはとても自覚している。きっとそれは小さい頃からずっと田舎で暮らしていたせいだ、と自分が置かれた環境のせいにしては、小中高とろくに勉強をしなかった。だから余計にバカになってしまった。それをしかたがないと受け入れるくらいの分別は培われたので、生まれついて聡明ではあったのだろうとカヲリは考えていた。なにもかも環境が悪かった。しかたがない。
そう、しかたがない。そう思っていた。けれど今、京都の地に立って、その思いが徐々に塗り替えられて行くのをカヲリは感じていた。
カヲリは生まれも育ちも北海道の妹背牛町だ。しかし、出身地を誰に尋ねられて「妹背牛」と答えても、「モセウシ? どこ?」と聞かれるので、そのうち「北海道」と答えるようになった。そう口にすると道民には「北海道の、どこ?」と尋ね返されるが、内地の人には北海道と言うだけで問題ない。
カヲリはあんまり内地の人に出くわすことがないのだが、それでも数少ない遭遇案件では、内地の人は札幌を北海道だと思っている。もしくは、北海道を札幌だと思っている。だから、出身地を「北海道」と答えても、誰もなにも言わない。札幌は北海道の首都であって、北海道そのものではない。それがわからないなんて気の毒だな、とカヲリは思うが、内地の人とはそういうものだと思っているので説明はしない。おそらく地図上の難読地名が読めないんだろうし、北海道について深く学んだこともないんだろう。それできっと、旭川や美瑛についてもその素敵さを知らずに、北海道には札幌しかないと思ってしまうのだ。かわいそうな話だが、札幌はたしかに最高の街なので否定する必要もないだろうとカヲリは考えてもいる。
モセウシは北海道地図で言うなら、札幌の右上、旭川の左。雨竜平野の中にあって、見渡す限りのだだっ広い畑と、ウロコダンゴしかないところだ。あとセコマ。あるのはそのくらい。
札幌みたいな都会に生まれていたらもう少し『ハイソ』で、賢くなれたんじゃないかな、とカヲリは思っている。『ハイソ』とは二十歳年上の叔母である奈緒子さんが昔よく使っていた言葉で、意味を調べたことはないがきっと勝訴よりいいんだろう。素敵だったりかっこよかったりすることへ使う言葉だ。奈緒子さんは結婚してから札幌に行ってしまって、すごく『ハイソ』になったと思う。なにせ『ハイソ』って言葉を使わなくなった。そしてお化粧がキレイになった。札幌はすごい。
カヲリは思い切って札幌の大学を受験した。でもだめだった。なので看護師の専門学校へ通うことにして、モセウシを出た。いくらかは反対されたけれど、奈緒子さんが説得してくれた。『ハイソ』な札幌に住み始めた最初のうちは毎晩実家から電話が来て、とてもうざいと感じてしまった。それでなくても、カヲリは憧れの札幌に来られて浮足立っていたのだ。いろいろ行きたいところがあるし、ためしたいこともあり、毎日同じ時間にスマホが鳴るのはそんなカヲリの気持ちに水をかけるようなものだった。
近所のコンビニで電話を受けてしまったときには、こんな時間に外出など不良だとなじられてうんざりとしたものだ。過干渉だ。それは子の成長と自立を阻む悪しきものだ。けれど、アパートの家賃を払ってもらっているし、ゆめぴりかを送ってくれるし、いい親なんだと思う。心配してくれているのもわかる。だから毎日は電話しないでとは言えなくて、奈緒子さんに相談をした。なんだかうまいこと言いくるめてくれて、週の初めの夜だけにスマホが鳴るようになった。いい親なんだと思う。
カヲリはモセウシも両親も嫌いではない。むしろ好きだと思うし、モセウシにも大きいイオンができればいいのにと思う。そうしたらきっと両親も『ハイソ』になるだろうし、もっと大きな気持ちでカヲリを包めるようになるはずだ。インスタントじゃないコーヒーを飲むようにもなるかもしれない。電話の数が週一になってもちょっとだけモセウシや両親を窮屈に感じてしまう気持ちは変わらなくて、それはやっぱり、なにもかも『ハイソ』じゃないからだとカヲリは考えた。
このカヲリという名前をくれたことはとても感謝している。札幌でできた友だちにも、「日本って感じでかっこいいよね!」と言ってもらえた。『くっつきのを』が最高らしい。うれしい。札幌の人はすごいと思う。たくさん人が歩いている道を誰ともぶつからずにすいすいと泳いで行けるし、家の徒歩圏に三件もコンビニやコインランドリーがあることを驚いたりもしない。『ハイソ』だ。カヲリはがんばって札幌の人みたいになった。けっこう上手くいったのではないかと思う。
ある日、JR札幌駅から琴似駅へと区間快速に乗っていたときのことだ。カヲリの名前を褒めてくれた、根っからの札幌っ子の友だちが吊り下げ広告を見て言った。「京都、いいよねえ。憧れるわあ」と。
カヲリは、耳を疑った。そして耳にした言葉が本当に発せられたものだと理解すると、はなはだしく大きなショックを受けた。なにせ、彼女は札幌の人。生まれたときから今に至るまで、ずっと札幌に住んでいる人なのだ。緑のブーツを履きこなせる都会の人。同じ美容院に行ってみても、ちょっと毛先がカヲリよりも軽い人。タクシーだってびくびくしないで拾えてしまう。そんな彼女が憧れるって。それはなに。いったいなんだろう。カヲリは目の前がくらくらした。
小さいころから札幌が最高だと思っていた。日本地図には札幌以外があることも知っているけれど、カヲリが想像して憧れてきたのは、どこにでもある雪をオシャレにして、『雪まつり』なんて『ハイソ』な名前をつけてしまう札幌だ。自衛隊の人だって本当はもっとたくさんの雪像を作りたいはずだ。かまくらや雪だるまなんてありきたりなものじゃなくて、ライトアップされた芸術作品。素敵じゃないか。でも、カヲリはもう『札幌の人』なので、誘われない限り自分から雪まつり会場には行かない。「だってえ、人ごみだし、世界の風邪の祭典じゃない?」と言って、道路を挟んで南側から眺めるのが札幌っ子なのだ。なので、誰かに誘われるのを待っている。魅力的なのは冬だけではない。大通り公園は春も夏もキレイで、秋にはオータムフェストがある。最高だ。とうきびワゴンのとうきびとじゃがいもだって、実家で茹でて食べるよりずっと『ハイソ』でおいしい。なんと、大通り公園だけとりあげて考えたとしても四季を通してこんなに素敵なのが札幌なのだ。でも元祖札幌っ子のその友人は、「京都ってさあ、札幌にはない『日本』って感じがあっていいよねえ」なんて言うのだ。
スケールの大きさにカヲリは震えた。札幌に、ないものがあるなんて。北海道以外の場所について考えるのは、歴史の授業以来ではないだろうか。スマホで検索した。京都。最初に出てきたのは五重塔の写真だった。知っている、中学の社会科ワークに載っていた。少しスクロールすると、丸い窓から見えるキレイな紅葉の写真。クリックしてみると、『源光庵』とのこと。そして、そのときカヲリは気づいた。――これ、劇場版コナンに出ていた場所だ!
その驚きを想像してほしい。カヲリの人生では、北海道がすべてだった。札幌が北海道の首都であり、畑とウロコダンゴ以外のすべてのものがそこにあると思っていた。そしてカヲリにとっては本当にそうだったのだ。大都会札幌は、カヲリが望む以上のものを浴びるようにもたらしてくれて、カヲリも『ハイソ』になれたのだと錯覚させてくれた。
けれど、カヲリはここに来てやっと気づいた。『日本』は『北海道』だけで構成されているわけではない、と。アニメや映画、ドラマで見た場所は、じつは、実在しているのだと!
知っていた! しかし、気づいていなかった!
くらくらしたままカヲリは帰宅した。そして、ベッドの布団に埋もれてうなった。自分の極めきった世間知らずに、気づいて良かったような悪かったような、どちらとも言えない気持ちになった。世界は広い。なんてことだろう。びっくりした。ひとしきりごろごろして落ち着いてから、京都の存在をカヲリにつきつけた札幌っ子の友人へメッセージを送った。
『あやち、京都行ったことあるの?』
『あるよー おねえちゃんが働いてるー』
『まじで? 京都って働けるの?』
『なにそれw 当然じゃんw』
『えー なんか、おとぎ話の世界みたいで』
『わかるー THE・日本! てかんじだよねー』
カヲリはちょっとだけバカだ。自覚している。そしてちょっとだけ早とちりだったり、後先を考えなかったりもする。THE・日本! であるところの京都をいろいろ検索した。まずそこに人が住んで生活していることに驚いた。その上、大好きな札幌の街は、なんと京都を真似して作られたのだという情報に感動した。なんて『ハイソ』な街なんだろう、京都。そのころ、幸か不幸か、カヲリは専門学校の卒業を控え就職活動を始めたばかりでもあった。数日後には京都府内の病院にエントリーシートなんかを提出してしまっていた。じつにバカだ。自覚している。
突然の札幌からの連絡に、きっと先方は大いに戸惑ったことだろう。ウェブ面接をしてもらったころには、カヲリはすっかりにわかの京都フリークになっていて、移住することを心に決めていた。なにもないモセウシからだって『ハイソ』な札幌に移住できた。札幌から京都なら、なおのことすぐに馴染めると思う。碁盤の目の街並は任せてほしい。どんな人混みだって、カヲリもすいすい泳げるようになったのだ。
が、お祈りされてしまった。なぜなのか。反省点を明確にしないまま、カヲリは次々にエントリーシートを繰り出した。だめだった。きっとウェブ面接が良くないのだと考えた。そうだ、京都行こう。
カヲリはばあちゃんに電話をした。すごく喜んでくれた。りっぱな看護師となるために、りっぱな病院の面接を受けに行きたいと相談した。「わかった、わかった」とすぐに旅行資金を振り込んでくれた。カヲリはばあちゃんが振り込め詐欺に遭わないか心配になった。
初めて、飛行機に乗った。高校時代の修学旅行は道外へと赴く人生初のチャンスだったが、カヲリはインフルエンザをこじらせきって惜しくも行けなかったのだ。級友たちも行けなかったカヲリに気を遣ってあんまり土産話をしなかったので、炊事遠足に行けなかったくらいの感覚だった。もし、あのとき行けていたなら。カヲリは札幌や北海道以外にも日本があると理解できていたかもしれない。しかしカヲリは行けなくて、北海道の外に出るのはこれが初めてだった。
怖い。とても怖い。なんでこんな大きなものが空を飛ぶのだろう。ぜったいみんな、なにかにだまされている。よかれと思って窓際席をとってしまったのが本当によくなかった。空と雲が見える。一面それのみだ。札幌駅のJRタワー展望室よりも、ずっと高いところを飛んでいるのだと嫌でも教えてくれる。なんておっかないんだろう。関西空港に着くまで、カヲリはずっと遺書を書いてこなかったことを悔やんでは心のなかで神様をののしっていた。ばあちゃんがよく偲んでいた坂本九みたいになってしまうと信じて疑わなかった。涙がこぼれないように上を向いた。が、無事着陸した。
関西国際空港は、新千歳空港の比ではない人の多さと広さだった。名前に国際と入るだけのことはある。すごい。びっくりした。空の上の怖さ並みにカヲリはおびえた。人々がびゅんびゅん行き交っている。祝日の札幌駅前通りのスクランブル交差点でさえ、こんなびゅんびゅんはあり得ない。ここは北海道ではない、と目の前に事実を突きつけられた気分になった。カヲリが知らない日本国に入国したのだとわかった。怖かった。
それまでカヲリが見知っていた世界は、ただ北海道だけだ。日本の中のおっきい地方。おっきいからおっきいと思っていたけれど、じつは日本はもっとおっきいのだ。ばあちゃんちの茶の間の壁に貼ってある、ユーゴスラビアという国が載っている世界地図ではあんなに小さいのに。びっくりした。きっと時代が変わって日本も大きく成長したのだろう。じゃないと新千歳空港よりも広くてりっぱな空港が存在することを説明できないし、人がびゅんびゅんしていて身動きがとれないなんてこともあり得ない。カヲリは歴史の重みを感じた。
カヲリがどうしていいかわからずに本気で泣きそうになっていたら、親切な女性が声をかけてくれた。どこから来たのか聞かれたので「札幌です」と言うと、なぜか女性のテンションが上がる。ちょっと地味に思えた北海道ブランドだけども、なんと、関空でも威光を示せたのだ。それに、日本語が通じた。カヲリは気を取り直した。京都に行きたいと伝えると、ものすごくていねいに行き方を教えてくれた上、いっしょにバスの乗口まで行ってくれた。びゅんびゅんもそれで乗り越えられた。日本人は親切だ。カヲリは感動した。
バスに乗ってしまえば、あとはこっちのもんだ、とカヲリは思った。スマホで検索すれば行きたい場所への最短距離を割り出してくれるし、進むべきルートも指示してくれる。ちょっと本当に合っているのか心配になるけれど、なにせここは日本語が通じる。しかし滞在する宿にたどり着くためには乗り換えが必要だと気づいたのはバスに乗ってほっとしてからだった。だいじょうぶだ、問題ない。札幌でだって、乗り換え乗り継ぎは楽にできていたのだから。そう思っていたけれど、初めての土地でひとりになり気が弱くなったカヲリは、スマホの情報を疑ってしまった。途中下車してしまい、自分の現在地と目的地の位置関係がわからなくなってしまった。カヲリはちょっとだけバカなのだ。自覚している。
そして今、京都へ。多少の困難はあったけれども、国際的な言語である日本語が通じたため、カヲリはちゃんとチェックインの時間までに到着できた。宿が外装からして本当にTHE・日本! だった。びっくりした。ばあちゃんが昔ビデオに撮り溜めていた時代劇の世界だ。入り口の引き戸は、どうして編み編みなんだろう。冬に隙間風が入らないだろうか。カヲリは余計なことを心配した。
しかも、竹、竹が生えている! 建物の裏に、うっそうと茂る竹林がある。カヲリは、ばあちゃんちにあった足裏マッサージ用の竹しか見たことがなかった。本物だ。びっくりした。思わず中に入るよりも先にそちらへ行って、生の竹を触ってきてしまったほどだ。まさか実在しただなんて、竹。どうにか北海道に持って帰れないものだろうか。
そして、認めざるを得なかった。日本だ。ここは日本だ。京都には、札幌にすらない『日本』がある。
所は、京都の船岡温泉街。京都のことを勉強しようと思って読んだライトノベルが、船岡山を舞台にしていたので、ここに泊まろうと最初から決めていた。小学生のときに、カヲリは父といっしょに音江山だって登ったことがある。だから船岡山だってきっとだいじょうぶだ。それに三回も読んだから、船岡のことならなんでも知っている。『ハイソ』なコーヒーショップがあるはずだ。明日はそこを探すつもりだ。
カヲリはすべてを成し遂げた気分になった。が、やっと目的地にたどり着けただけである。見たいもの、行きたいところがたくさんあるし、食べたいものは限りない。モダンで『ハイソ』な和の部屋で荷を解く前に、部屋の写真を撮りまくった。かっこいい。カヲリの国籍は日本のはずだが、ここまで日本を感じたのは生まれて初めてだ。日本っぽいことは『ハイソ』だと思った。和室は実家にもあったから特別珍しくはない。けれどこの宿のその空間は、落ちる影すら美しく見せてくれるくらい、カヲリにとって夢見心地な場所だった。大正レトロな間接照明を、何度かつけたり消したりしてみた。ほんのりと明るい電球色は、遠くから憧れだけでやってきた、世間知らずで無鉄砲なカヲリを包み込んでくれてやさしい。なんだか無性にうれしくて、少しだけカヲリは泣きそうになる。
晩ごはんは出ないので、あらかじめ行きたい店を決めていた。歩いて行ける距離だと考えていたが、想定していたよりも遠かったので、素直にタクシーを使った。運転手さんもとてもやさしくて、北海道から来たと伝えるとなぜか男女のコミュニケーション論を語ってくれた。とても勉強になったけれど、カヲリはそれを自分にどう当てはめればいいのかわからなかった。
十五分程度車に揺られて、瓦屋根のお家の前に降ろされる。こんなに近くで瓦屋根を見るのは初めてで、感激してカヲリは写真を撮りまくった。おのぼりさん丸出しでもカヲリは気にしない。そして、人が並んでいた。夕方の開店時間三十分前には着くように移動したけれども、ちょっと遅かったようだ。カヲリの後にも人が並んだ。食べられなかったらしかたがない。けれどなんとか入れてもらえて、席に着けた。
天井の梁が見えている。北海道の家とはまるで造りが違う。これでは冬場にストーブをたいても、暖気が天井の上の方に溜まって逃げてしまわないだろうか。古くからある民家を改装しているとウェブサイトに書いてあった店内を見回した。御代官様と結託している商人のお家に、むき出しの大きな丸太を使ったテーブルをたくさん置いて小洒落た飲食店にした感じだ。『ハイソ』だ。こっそり写真を撮った。
メニュー表を見ても、どんなものか想像がつかない名前のものばかりで、日本語を勉強し直さなければならないとカヲリは痛感する。『ハイソ』を追い求めるなら、それなりの教養も必要なのではないか、とここにきて思ってしまった。環境が悪かったのだ。しかたがない。だから、これから学んでいこう。これください、と指差しで注文した。おうどんが出てきた。おいしかった。
カヲリは運命とか前世とか、ちょっとよくわからないものは信じない。でも『ハイソ』だなあ、と思った気持ちは本当。カヲリはちっぽけな人間で、うかつで、とてもではないけれど冷静な人間でもない。だから鉄砲玉のようにこうして縁もゆかりもない京都へ来てしまった。ちょっとの不安を抱えているけれども、来たことを後悔はしていない。おうどんのしっかりとしたゆずこしょうの風味を舌の上に転がしながら考えた。来てよかった。本当によかった。
もう一度メニュー表を眺めながら、明日からのことを考える。この素敵な街を旅程すべてで堪能すること。そして自分がこれまで見落としてきた、『ハイソ』な『日本らしさ』を拾うこと。もちろん予定している面接だって行く。それが受かれば次は京都に住むことになるのだ。すごく『ハイソ』だ。
ちょっとだけわかった気がする。カヲリはこれまで、『道民』ではあったけれど『日本人』ではなかった。外に目を向けてみれば、こんなに美しい街があるのに。店内を見渡す。やっぱりどこかカヲリには異国のように思えたけれど、それでもとても懐かしかった。札幌人になろうと努力したときみたいに、次は日本人になろう、とカヲリは思った。できるなら、ここ、京都で。