天神さんがつないだ古本ご縁

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大阪のおでかけ
古本めぐりに本気出すようになったきっかけの話

 古本が好きだ。

 大学生のときに古本めぐりの面白さを覚えて、町なかで見つけた古本屋にふらっと入ったり、大阪の四天王寺や京都の下鴨で催されている古本まつりに足を運んだりしていた。今も常に「この本があれば買う」というはっきりした目当ては何冊かあり、またそういう本でなくても、これは今読みたいものだ、と思えるものがあれば買う。

 私の目当てというと、基本的には絶版になった漫画や児童書、大学の演習室に置いてあったような平安文学関連の学術書が中心である。研究の道は、言ってしまえば挫折に近い諦め方をしたのだが、趣味の範疇で学問することは社会人でもできるので、自分が知りたいことを知って気軽に楽しむため、知りたいことに合致する本を今でも探している。

 とはいえ、初めて古本市というものに行ってみたときは本好きの延長くらいで、そこまで古本が大好きというわけではなかったし、なんとなくレポートや卒論で使えそうな本が手に入ったらいいな、くらいの感覚だった。大学にある本は大学で閲覧すればよいのだ。

 その考え方が大きく変わったきっかけが、毎年秋に大阪天満宮境内で開催される、「天神さんの古本まつり」でのできごとだった。


 その年私は大学四年生、卒論の中間発表を控えて、進捗も指導担当の評価も芳しくなく、常につきまとう不安感に毎日青ざめながら、通学に一時間半以上かかる大学と家とを行き来していた。

 そんな天神さんの古本まつり時期のバイト帰り、ちょっと息抜きに行ってみよう、勉強に関係ないこともないし……と考えて、私はまっすぐ家に帰らず、南森町駅に降りたった。

 神頼みめいた思いも多少あったかもしれない。大阪の天神さんというと、受験のときはいつもお参りに行く場所だった。ご利益があるというか、自分の勉強関係にはご縁のある神社だとは思っていた。

 境内に入ってすぐ目に入る本の山にすぐには向かわず、まずは本殿に進み、マジで助けてくださいお願いします……と、かなり真剣にお賽銭を捧げ手を合わせてから、私は宝探しに向かった。

 そこで、予想だにしない出会いがあった。

 おそらく国文学を専攻した人は手に取ったことが一度はあるだろう、とある学術書シリーズが多く並べられている売場があった。もちろん私の卒論にも必要不可欠で、大学で毎日のように閲覧している本たちだった。

 まず、学生の手に届く価格に驚いた。どれも箱入りだ、箱は多少褪せていたり汚れていたりするが、中身もそうなのだろうか。

 私はその中でとくにほしい一冊を見つけて手に取って、そっと本を確認してみた。

 箱からは、うつくしい書物がすらりと姿を現した。見る限りどのページもまっさらで、栞紐など紙にぴったり埋まったまま、動かされた形跡もない。

 本当にその価格かと思った。その本を何度見ても、他の本を何冊か確認しても、どれも同じお値段なのである。

 買おう、と決心した。当然大学にもそろっているシリーズだったが、学生のバイト代でも手の届く値段で、こんなに日々お世話になっている書物を、これだけ綺麗な状態で手に入れられることは、二度とないかもしれない。

 ちなみにそのとき入手した本の新品在庫を今ざっと調べてみると、どこも品切れになっているものもあったので、やはりこのとき入手しておいてよかったと思っている。

 わけもなくドキドキしながら、自分の専攻に必要な和歌関係の六冊を抱えてお会計に向かった。店主らしき人に思わず「いいんですか、罪悪感が……」などと、それだけ言われてもわけがわからないだろうことを口走ってしまったこと、「いいんですよ」と笑顔が返ってきたこと、そのやりとりはよく覚えている。


 その本たちのおかげで卒論が劇的に進んだか、というと、そんなことはなかった。何があろうとも結局、学問というやつはコツコツやるしかないのである。ただ、家で作業していて今この和歌の意味を知りたい、と思ったようなときに、すぐに調べられることはあった。手もとに来てくれた本たちは、つらかった卒論作業をときどき楽にしてくれた。

 私はものすごく信心深いわけではない。ただ、天神さんは相性がいい神様かもしれない、とは思っている。

 あのとき一挙に手もとに来てくれた本たちをきっかけに、同じシリーズの他の本も何冊か収集した。「昔の学術書も本気出して探せば見つかる」ということを覚えてしまったため、古本めぐりをするときもかなり熱が入るようになり、私の本棚の国文学コーナーは、あのころの演習室の一部を切り取ったような景色になりつつある。

 そんなふうに古本めぐりを続けていると、京都で、神保町で、名古屋で、求めていた古本と出会えた出来事はいく度かあった。

 昔の学術書や絶版漫画だって、インターネットで探すこともできる。ただ私は、そういう本と古本屋で出会うのが好きだ。古本市の平積みで、町の古本屋の片隅で、求めていた本と偶然出会ったとき、私を待っていてくれた、などと思ってしまう。

 そんな本たちを抱えて家路をたどるときの幸福感といったら、他では得られない。


 大阪天満宮だけではなく、すぐそこの天神橋筋商店街にも、何軒かの古本屋が点在している。古本まつりを回り終えても、まだ商店街の古本屋めぐりが残っている、古本好きにはたまらないコースだ。さらにここから十五分かそこらで梅田に向かえば、阪急古書のまちもある。やろうと思えば、大阪で一日中、古本を追いかけて過ごすこともできる。

 大阪天満宮から家に帰るとき、お店の方のご厚意で二重にしてもらったビニール袋の底がそれでもあやうく、袋の取っ手が指に食いこんで痛いほど重かったことは忘れられない。

 今でも、天神さんの古本まつりには毎年行くようにしている。本を探す前に、よいご縁がありますようにと、必ず天神さんに手を合わせて。